narumi-26の日記

心が軽くなるブログを目標に書いています。

フィンセント・ファン・ゴッホ 1

フィンセント・ファン・ゴッホの代表的な作品、『ヒマワリ』の絵は全部で10枚。そのうち3枚は不明です。
そのゴッホのヒマワリの作品の中で特に、2020年に開催されたロンドン・ナショナル・ギャラリー展で注目を集めたのは4枚目のヒマワリの絵でした。
ずっと見たいと思っていた、この4枚目のヒマワリは今まで見たどの絵画より強烈に印象に残った絵になりました。
アルルの光輝く景色の中で描いたとされる作品。
一心に純粋な光だけを集めて凝縮させたようなヒマワリの絵。

ゴッホとはどんな画家だったのでしょうか。

フィンセント・ファン・ゴッホは37歳という若さで命を絶つまで、画家としては僅か10年の間に脅威的な多くの作品を遺しています。
彼が生きている間、その殆どの作品が冷笑され、軽蔑され、目に留められることもなく無名のまま生涯を終えました。

生前、売れたのはたったの1枚。
何度も何度も自分を見つめ、自分の顔も描きました。その瞳に映る感情はなんだったのか。

『フィンセント』とは勝利者という意味があります。
彼はオランダではかなり名門の一族で、5人兄弟の長男として生まれました。
フィンセントはささいなことで突然かんしゃくを起こし爆発する少年で、手におえない問題児だったようです。
誰とも関わりあうことを嫌い、1人で野山を歩き自然を観察して過ごしていました。

弟のテオだけが、フィンセントの善き理解者でフィンセントを応援してくれていました。

フィンセントが16歳の頃、彼の扱いに悩んでいた父親のテオドルは息子を画商のもとで勉強させることにします。
すると、驚くほど、かんしゃくを起こすこともなく、熱心に画商の勉強に向き合うと称賛されるようなったのです。この頃から弟テオとの文通が始まります。後、ゴッホがテオに宛てた文通は生涯で650通を越えます。

1873年、フィンセントは働きぶりを認められロンドンに赴任しました。
自由な時間を存分に楽しみながら、イギリス絵画に目を向けていきます。
幸福な日々。
彼はウルスラという女性と出会います。
すっかり彼女に魅了されたフィンセントは1年思い悩み結婚を申し込みました。
しかし、返ってきたのは予想にもしない手酷い拒絶でした。
心に深い傷を負い、それは仕事にも大きく影響しました。勤務態度が急激に悪くなったフィンセントに対して失恋が原因だと知った店の実業家はフィンセントをパリに異動させることにします。
パリの華やかな雰囲気が傷を癒してくれるだろう、と考えたからでした。

しかし、フィンセントの勤務態度は変わらずに解雇。
それ以後、フィンセントは死ぬまで貧困の生活を送ることになってしまいました。

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