narumi-26の日記

心が軽くなるブログを目標に書いています。

フィンセント・ファン・ゴッホ 4


本格的な冬が訪れる前に、待ちに待ったゴーガンがアルルにやってきました。
ゴーガンの存在は孤独に押し潰されそうだったフィンセントの心に安らぎを与えてくれました。
ゴーガンを迎えるために、部屋に飾って喜んでもらおうと描いたのが4枚目の、ロンドン・ナショナル・ギャラリーで飾られた、ゴッホ最高傑作とも言われる『ヒマワリ』です。
この時、ゴッホは35歳。

あんなに待ち侘びたゴーガンの訪れでしたが、対照的な2人はすぐに仲違いで関係の修復は難しいまでになっていきました。

激しい錯乱状態に陥ったフィンセントは自分の耳を切り落としゴーガンは去っていってしまいます。

パリから、知らせを受けてテオがやってきました。
錯乱状態の兄を見て、テオはフィンセントが死ぬ運命にあることを覚悟します。

フィンセントは程なく正気を取り戻しますが、すぐに錯乱状態に戻ってしまいます。
彼を狂気に誘ったのは、『黄色』への異常なまでの執着心でした。

テオにこれ以上負担をかけないために、フィンセントは自ら鉄格子が嵌まった精神病院への入院を希望します。
そして、そこで鉄格子からのぞく風景を描き続きました。

治まったと思った途端、波のように押し寄せる激しい発作。絶望の淵にもがき苦しみ、沸き起こる狂気と闘いながら、朝から晩までひたすら絵を描き続けました。
モデルがいないので、自画像も描きました。
激しい発作が起こるのは、ゴーガンとの悲しい決別をした冬でした。
この頃、初めてフィンセントの絵が美術評論家の目に留り、高値で売れます。

1890年テオはフィンセントを自宅に招いて、描いては送られてきたフィンセントの絵を並べて見せました。
そして、フィンセントを支えるためにテオも妻のヨハンも金銭面の苦労で疲れきっていることを初めて知ります。

激しい自責の念にかられ、今までに味わったものと比べようがないほどフィンセントはショックを受けてしまいます。

1890年フィンセントは畑の中でピストルを胸にめがけて引き金を引きました。
それから半年もたたない1891年、テオも兄の後を追うように帰らぬ人になりました。

現在では高値で売り買いされているゴッホの絵は、生前で売れた絵はたったの一枚。
命を絶ったその年に売れたものが最初で最後の作品でした。

創元社ゴッホ 燃え上がる色彩」パスカル・ボナフー 参考 抜粋