narumi-26の日記

心が軽くなるブログを目標に書いています。

ADHDかな?と自他共に思っていた話

学生の頃、体育で走ればビリ。跳び箱3段すら飛べない。勉強も出来ない。家庭科ではじゃがいもの皮むきも出来ない。
自分でも疑っていましたし、親も思っていたかもしれません。担任の教師からも言われていました。
発達障害なのではないかと。

ある時、相変わらずクラスでただ1人、跳び箱3段と格闘していた横で、7段を軽やかに飛ぶ同級生の姿が目に入りました。

重力を忘れたかのように軽やかに飛ぶ姿を見て、あんな風に自分も跳べるかもしれないのに。と自分の姿を重ねて見ていました。
体育教師は3段と格闘している私を全く見ていません。
こっそり7段の列に並び、さっき重ねて見た姿を思い浮かべながら、マネをして。

簡単に跳べていました。
10段に挑戦。
やっぱり簡単に跳べました。

呆気にとられました。
3段すら難しいと思っていた跳び箱は、なんでもないものだったのです。
しかし、その直後、目の前で7段を跳んでいたクラスメートが顔から落下したのです。
それを見たあと。

また、3段と仲のいい友達に戻りました。

リレーもマラソンもいつも、ビリ。
ある時、友達3人と公園で遊んでいた時のことです。
どこかの大型の飼い犬がリードをつけたまま公園にさ迷い入ってきました。
とても大きくて黒い犬。
とても友好的とはいえない唸り声。
その犬は私達を見ると、あろうことか飛びかかってきたのです!
私達は散り散りになって逃げました。
ふと犬の気配がなくなり振り返ると、滑り台に上がった友達に向かって吠えているところでした。
私は走り出しました。
公園の外へ。
卑怯なことに、友達を見捨てて逃げたのです。もしかしたら、助けを呼びにいったのかもしれませんが、兎に角必死でした。

走れば、追いかけられる。
その犬は走り出した私を追いかけてきました。
必死に走りました。
住宅街を犬と追いかけっこです。
どれくらい走っていたのか、陽が暮れた頃飼い主がやってきて犬を連れ去っていき、私は爆発しそうな心臓にしゃがみこんでいました。
見捨てて逃げたのに、友達が探しにきてくれて一緒にそれぞれの家へ帰っていきました。
帰りながら、友達が口々に、犬より早く走ってたよ!すごく早くてびっくりした!と褒めてくれましたが
私は恥ずかしくてしょうがなかったのが忘れられません。

じゃがいもの皮むきも、3分クッキングを見たとき、できるかもしれないと思ってから、なんなく出来るようになりました。

要は、思い込みだったのです。
社会人になってからも、この様なことが度々起き悩むことが多くありました。

最近、原因をハッキリさせるため心療内科で検査を受けてきました。
2回に渡る検査の結果、ADHDなどの疑いはなく、幼少期のトラウマと強いコンプレックスが原因だということが分かりました。
幼少期、長女の私だけ厳しく躾を受けていました。なぜできないのだ、と言われる度、自分は出来ないんだと思い込んで生きるようになっていたのです。

でも、大人である今、私は自分の思うように生きることができます。
苦手なものが現れた時、コンプレックスが原因になっているのではないか、それなら越えられる!と考えるようになりました。

ADHDは苦しいと思います。擬似体験でしたが、世間からどんな目で見られるのか経験しました。
それで、改めて思うのです。
コンプレックスやハンディを抱えて生きる人って、通常では見れない視点にたって物事を見ています。
その才能を生かせる社会はどんな社会なのか。
生きることの本質が見えてくるような気がします。